日本は世界の経済大国の一つであり、エレクトロニクス、ロボット工学、自動車産業、交通インフラなど、さまざまな分野でリードしています。特にアクセシビリティ(バリアフリー)の基準は世界最高水準であり、日本がこの分野のトップランナーであることは間違いありません。
私はこのことを長年認識しており、それが日本を訪れた理由の一つでもあります。現地で直接体験し、学びたかったのです。
タイの障害者権利運動と私の日本訪問
タイにも障害者権利運動の重要なリーダーが何人もいます。私が若い頃、裏方として活動していたとき、ナロン・パティバティスキットさん、トーポン・クルカチットさん、スポントゥム・モンコンサワットさんなど、多くの方々と協力し、学ぶ機会がありました。
これらの方々の名前を挙げたのは、私の2回目の日本訪問には特別な目的があったからです。それは、「単なる利用者ではなく、運動を推進する立場の人々と会うこと」でした。サオワラックさんとサワンさんの紹介を通じて、ショウジさんと出会うことができました。
「ショウジさんは、トーポンさんの時代からタイや他の国々を支援してきた。」
これは、スポントゥムさんから聞いた情報でした。
訪問前に、私たちは手紙を交わし、自己紹介をしました。DPI-Japanへの訪問は、ショウジさんのご厚意によるもので、私を彼らとつなげてくださいました。今回の訪問には大きな期待を持っており、ショウジさんは一日中、私のために時間を割いてくださいました。
宿泊先から目的地までは約2時間。ラッシュアワーの時間帯で、さらに道に迷ってしまい、通常の倍の時間がかかってしまいました!
ショウジさんとの出会い
ショウジさんは以前、DPI-Japanを運営されており、現在はHuman Care(https://www.humancare1986.jp)という組織を率いています。到着すると、まず彼がスタッフの皆さんに私を紹介してくれました。皆さん、とても温かく迎えてくださり、すぐにミーティングが始まりました。
ショウジさんは、日本の障害者権利運動の歴史や、バリアフリーと基本的人権に関する取り組みについて詳しく話してくださいました。特に1999年に、障害者の方々が新宿駅で抗議活動を行い、それが全国ニュースで報道されたことをビデオで見せていただきました。
現在、日本のバリアフリーは世界最高レベルに達していると言えるでしょう。しかし、ショウジさんは**「まだやるべきことは多い」**と強調し、政府はさらなるバリアフリー化を推進するために法律の改善を続けていると説明されました。
また、私もタイでの運動について簡単に紹介し、私たちの取り組みについて共有する機会をいただきました。
ショウジさんとDPI-Japanからの重要な洞察
現在の日本では、もはや抗議活動をする必要がない。必要な法律が改正され、皆がそれに従っている。
日本では、プラットフォームリフト(階段昇降機)はほぼ廃止された。 一部の古い駅にはまだ残っているが、韓国では適切な管理が行われず、これまでに少なくとも3人が事故で亡くなっている。
今後のバリアフリー施策の発展計画。
これらの話は私にとって非常に貴重であり、特にショウジさんから直接聞けたことが大きな価値となりました。
昼食ではショウジさんがご馳走してくださり、午後にはスタッフの方々がガイドとして、さらに多くのバリアフリー施設を案内してくださいました。本当に素晴らしい体験でした。
ショウジさんの最後のメッセージ
別れ際、ショウジさんは私にこう言いました。
「私たちは未来の世代のために働いている。障害者の支援を頼むよ。」
その言葉を心に刻み、皆さんにもこの思いを共有したいと思います。
2回の日本訪問で得た気づき
全体的に見ると、日本とタイのバリアフリーに関する課題は似ています。しかし、日本には決定的な違いがあります。
法律が不十分ならば、改正し、すべての人が従う。これだけのことだ。
一方、タイでは法律自体は非常に良いものがあるが、その実施と遵守が問題になっている。
帰国前、ショウジさんの奥様であるナカニシさんが、こうおっしゃいました。
「自費で日本に来るのは、とても高くつくでしょう?」
私はうなずき、こう答えました。
「はい、高いです。でも、やるしかないんです…」
未来へのつながり
私は満足感とともにタイへ帰国しました。タイの友人たちがショウジさんによろしく伝えてほしいと頼んでいたため、私はまるでサンタクロースのように、プレゼントと共に温かい思いを届けることができました。
私は確信しています。今後、私たちのつながりと協力関係は、徐々に強まっていくでしょう。
またお会いしましょう、ショウジさん――伝説の人。
/サバ
Accessibility Is Freedom
バンコク 2017年5月8日 3:47pm